幼いころから自然が好きで、学生時代は自然環境の破壊に大変心を痛めておりました。
「地球を救いたい」そんな想いを胸に、動物や自然に優しい社会を作るため、社会人になって自然保護団体で働きました。
しかし、社会への自分の無力さを知る中で、本当に大切なことは、大切な存在を大事にできることだと気づきました。
その想いから、家族、友人、の健康を守る能力を身に着けるため、仕事と勉強を同時に始めました。
ご縁を頂いた方が、オステオパシーの施術により、幸せと自分らしさを見つけていただき、その人の周りにも幸せが広がっていくと信じています。
そのよい波のきっかけになりたいと思っています。
深谷直斗とは
3人兄弟の末っ子として育ち、兄とは年齢も離れていたこともあって、かわいがられて育ちました。
小さいころから、虫のような小さな生き物にも、人間と変わらない命の重さを感じていました。
生き物にいたずらする友達とはけんかしていました。
画家を目指す
幼稚園から絵画教室、書道など芸術を学び続け、高校生のころには芸術大学を志すようになっていました。
高校時代には画塾に通い、塾が休みの日には美術室で絵をかいていました。
夏休みなどは一日10時間以上デッサンし、画家になろうと思っていました。
京都精華大学という、芸術系の大学の日本画学科に進学し日本画付の日々を送りました。
絵を学ぶ仲間と、毎晩夜中まで研究等に居残りして、絵をかいたり、いろんな子を語ったりしていました。
特に、先住民族の絵に興味を感じ、オーストラリア国立大学に交換留学し、アボリジニーの絵を研究するなど、絵を人生のテーマとして深めていくようになっていました。
動植物と未来の子どもを守るため「自然保護活動」
しかし、ある時期に、人間の環境破壊によって生活を奪われていく野生動物のことが頭から離れなくなり、いても立ってもいられなくなった僕は、在学中から自然保護団体で働き始めました。
大学を卒業すると同時に自然保護団体に就職し、休みもほとんどなく、朝から終電まで自然保護活動に没頭しました。
しかし、仕事自体に情熱を感じることは、最後までできませんでした。「しなければならない!」という想いが強かったのだと思います。
仕事の内容で、環境を破壊する企業、野生動物を殺処分する行政との意見が対立し論争することが辛く、当たり前のことですが、相手を否定して接しても、何も変わらない、分かってくれない。という事を痛感しました。
一年働いて、僕は自然保護団体をやめました。
自分は何者なのかを探す旅~オステオパシーとの出会い
何をすべきか全くわからず、「自分らしさを見つける」という旅を始めたのです。
興味がある場所に行き、ご縁のあった人に一生懸命を尽くしてお世話になる。そんな直感を信じて体験するたびです。
度を初めて3か月が過ぎようとしていたころ、僕は熊野の修験道上の和尚さんの下で、山伏修行を始めていました。
山をホラ貝を吹きながら歩き回り、滝に打たれ、瞑想し、お経を唱え、断食する。という古風な修行を行いました。
そんなある日、お寺に徒手療法をされている先生がやって生きて、その先生が学んでいるオステオパシーという治療哲学を熱心に説明してくれました。
オステオパシーの目的は「体と心と魂の統合」…
その先生が帰った後も、修行の中でその言葉が何度も僕の心の中に立ち現れ、僕の心臓が、ワクワクドキドキしていました。
修行を終え、山を降り、オステオパシー医学の勉強をするために、日本中のいろんな団体に話を聞きに行きました。
修業時代
業界のいろんな話を聞き、行動していく中で、自分にとって正しい道が少しづつ示されていきました。アルバイトをはじめ、勉強会にも出席するようになり、尊敬できる先生を見つけ、修行をはじめ、間もなく医療系の専門学校に入学しました。
修行先は、クラシカルオステオパシー協会会長の元、3年間、治療家とは、何を大切にすべきか、治療を仕事としてどう取り組むのか、心構えをしっかりと叩き込まれました。
朝は7時から整骨院で修業をし、昼に学校に行き、学校が終われば飲食店で深夜までアルバイト。眠れる時間は一日3、4時間というハードなものでした。
休みになると医学系のセミナーに出席し、そのたびに今までとは違う世界がどんどん広がっていくのを感じました。志を共にする仲間もでき、オステオパシーを熱心に教えていただける師匠とも出会うことができ、勉強できる楽しさと感謝が増していきました。
いいことかは分かりませんが、稼いだお金はほぼすべて勉強につぎ込んでいるので、貯金が全くありません。
3年間の修業時代が過ぎ、医療系専門学校を卒業し国家資格を取得しました。
初めての就職先は外反母趾専門整体院でした。外反母趾についての専門知識を学び、多くの患者さんと関わることができ、本当に感謝しております。
しかし、より自分のオステオパシーの実力を最大限に発揮し、発展させるために、2017年の3月より、オステオパシー治療室*inipi(イニピ)を開業することにしました。
今現在
そんな、オステオパシー一色の僕ですが、もちろん小さいころや学生時代に感じていた生き物たちへの想いは大切にしています。
今でも、旅の中で知り合った、ネイティブアメリカンの集いや活動に参加したり、お寺での行、尊敬できる僧侶との対話を通して、地球に住む多くの生き物たちに感謝を伝えています。
僕のライフワークは、施術を通してご縁のあった人を輝かせることです。
「自分らしくあれば人は輝く」誰かがこんなことを言いました。
施術を通して、今のあなたの身体を讃え、祝福し、励まし、あなたが身体を通して自分らしさに触れ、周りを明るく照らせますように。
という想いで毎日施術を行っております。
初めまして、院長の深谷 直斗(ふかたに なおと)です。
私が治療家になったきっかけは「家族や友人、周りの大切な人を大事にしたい」との想いからでした。
そう強く願っているときに、私はオステオパシーと出会いでした。
人生を貫かれるような衝撃は今でもはっきりと覚えています。
オステオパシーは、人を心+身体+精神の統一体としてとらえ、体のゆがみを整えるだけでなく、その人の精神や内面的な側面を大切にしています。
私は、ご縁のあった患者さんを、大切な家族や友人と同じように想い、いつも全身全霊で施術にあたっております。
※再生すると音声が流れるのでご注意ください
オステオパシーは海外では医師免許のある権威ある施術法です。
私は英国まで行き、MICO(英国オステオパシー研究員)という国際的な資格認定を受けております。
また、2017年度の国際的な認定試験では、首席で合格した知識と実力があります。
私は月に2~3回の技術セミナーに出席し、年間受講日数は平均48日、約511時間ほど勉強しています。
また海外セミナーにも積極的に行き、本場のオステオパシーを海外講師から学んでいます。
これもご縁のあった方に必ず良くなってほしいという想いの現れです。
厚生労働省認定の国家資格を有する、安心の国家医療従事者です。
今あなたの身体に出ている症状は、家でいうと火事が起こっている状態です。
火事は放っておけば身体がドンドンと燃え広がってしまいます。
また、火事を放置して、身体が元に戻らないほど変形してしまった人もいます。
オステオパシーは、身体の病変を取り除き、循環力を高めることで身体自身の力でその火事を消火することができるようになります。
この機会にぜひ国際基準のオステオパシー専門院にご来院ください。
あなたのご来院を心よりお待ちいたしております。
お電話ありがとうございます、
オステオパシー治療室*inipi尼崎院でございます。